これからの「正義」の話をしよう 続き

2010年 07月 15日

 パブリックな領域に、道徳的・宗教的価値観を取り入れるかどうかという点に関するリベラルとコミュニタリアンの論争について昨日触れました。

 

 サンデルはコミュニタリアンの立場から次のように述べています。

 

 公共の領域に入るにあたって道徳的・宗教的信条を忘れることを民主的国民に求めるのは、寛容と相互の尊重を確保するための一法に見えるかもしれない。だが、現実には、その逆が真実になりうる。達成不能な中立性を装いつつ重要な公的問題を決めるのは、反動と反感をわざわざつくりだすようなものだ。

 本質的道徳問題に関与しない政治をすれば、市民生活は貧弱になってしまう。偏狭で不寛容な道徳主義を招くことにもなる。リベラル派が恐れて立ち入らないところに、原理主義者はずかずかと入り込んでくるからだ。

 

 この最後の方の表現でも分かるように、コミュニタリアンは道徳主義・原理主義とは一線を画しています。

 

 

 そしてサンデルは、パブリックな領域への政治・宗教的信条を持ち込むかどうかについて、ケネディとオバマを対比させます。

 

 ケネディはアメリカ史上初のカトリック教徒の大統領でしたが、宗教と国益はまったくといっていいほど無関係であるという信念を示し、パブリックな領域への「不介入」を強調しました。

 

 それに対してオバマは、宗教と政治論議の関連性を肯定します。

 彼は「ほんのわずかであっても宗教の匂いを嫌う進歩主義者のせいで、われわれは道徳的な言葉で効果的に問題に対処することができなくなってしまった」と言います。

 オバマは一般的にリベラルと言われますが、リベラルの中立性を超えた道徳的・精神的要素が政治的言語に盛り込まれています。

 

 単純なファンダメンタリストであったブッシュと比べても、オバマという歴史的存在がどれほど重要かということがよく分かりました。(Aki

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