一つの家族とは、人間にとって自然な状態ではない
2010年 05月 17日
「近隣に暮らす人々の間の平和とは、人間にとって自然な状態ではない。それどころか、戦争こそが自然な状態である。敵意はただ戦争のみに見られるものではなく、我々は常に敵意に脅かされている。それ故に、平和状態は法により確保されねばらない」
この文章は、哲学者エマニュエル・カントの『永久平和のために』という本の一節である。
「永久平和のために」などというと、壮大な理想論が語られていそうなイメージがあるが、
文章にもあるように、人間の現実をふまえた上で書かれていることが分かる。
さて、Service for Peaceでは、平和について
「世界が一つの家族のようになったとき、平和が実現されると考えます」と記している。
これは、「平和=一つの家族」という考え方が前提になっている。
ここで、カントの考え方をふまえて、三段論法を立ててみよう。
「平和とは、人間にとって自然な状態ではない。」
「平和=一つの家族である」
そこから「一つの家族とは、人間にとって自然な状態ではない」という、
結論が導き出される。
家族は、自然に一つになれるわけではない。
それどころか、各人バラバラ、分裂、個人主義こそが自然な状態である。
私たちは、まずこの事実を受け止める必要がある。
最近問題になっている「孤独死」「無縁死」も、
この側面を見落としてはならない。
とはいえ、「一つの家族」を脅かす要素を、
個々人の利己主義のみに帰結させてはならない。
カントの言うように、「我々は常に敵意に脅かされている」のだ。
たとえば、経済の問題。
この日本では、ある家庭が、一つの家族を維持し続けることは、
経済的にも、相当の労苦が問われる。
特に、年収300万未満の非正規労働者であれば、言うまでもない。
当然、そうした非正規労働者たちは、自然に結婚を避ける。
(というより、したくてもできない)
また、晴れて一つの家庭になったとしても、
ちょっとした問題で、家庭を維持することは困難になる。
たとえば、夫がうつ病などの心の病を抱えたときに、
年収300万円の家庭の場合、妻が簡単に家庭を放棄する。
夫が働けない以上、家計を支えられないからだ。
http://diamond.jp/articles/-/8129
分裂が自然な状態の中で、
かつ、一つになろうとしても、様々な敵意、障害が襲いかかる中で、
どのようにして、一つの家庭を生み出し、また維持し続けられるか?
そのための方法は、どのようにして確保されなければならないのだろうか?
平和に至る道は、ただひたすら遠く険しい。(L)
