新しい幸せの見つけ方
2010年 04月 20日
嫁と姑と、僕
つくづく思うのですが、嫁と姑のイザコザは永遠の課題です。
結婚からもうすぐ1年、そして親と同居を始めてもうすぐ4ヶ月が経ちます。
父母と妹、私と妻。ちょっと変わった5人暮らしの生活。
一見すると不便そうで、家族のイザコザがありそうな感じなのです。最初はけっこう大変でしたが、意外と幸せな暮らしに仕上がりつつあるのを感じる今日この頃です。
私を生んだ母 私と共に生きる妻
嫁、姑が”家族”になるのに時間がかかると思うのです。
私が妻を好きになったのは、”僕自身の持たない世界”を持っているからでした。と、言うよりも、たいていの場合、妻と夫の性格はけっこう反対なものではないでしょうか。
お互いの足らないところを補え合える喜びが夫婦だと思うのです。
ところが、母はその私を胎にはらみ産んだ母。つまり私の要素は母から来ているのです。
私の生活習慣や性格、まさしく本家本元のオリジナル。
良い面はもとより、当然ながら僕の欠点も、更に色濃くした形で母は持っているのです。
「この母にしてこの子ありか」という姿を見せ付けられるわけですから、これは嫁としてはたまらないでしょう。もともと、正反対の性格の男女はけっこう息が合いますが、正反対の同性は一緒にいるだけで息が詰まるものです。
水が上から下へ流れるように、ストレスも上から下にいる者に流れていきますから、新参者である妻に不満が集中するのは自然の理でしょう。これではストレスがたまらないわけがない。
夫であり、息子であること
私が思うに、夫の立ち振る舞いというのは嫁姑問題の解消に重要な役割を果たすと思います。夫が二方向の面をわきまえて役割をきっちりこなせば良いのでは。
間違っても、”家族なんだから”といって突き放してはいけません。ここで最も辛いのは、間違いなく100%アウェイで戦う嫁なのだから。
夫としては二重の”愛”が求められるわけですが、当然ながらまず最初にすべきは妻を愛する事ではないでしょうか。二世帯住宅では、ある意味で夫婦だけで住む時よりもスキンシップや愛の言葉をかける必要があるかもしれません。照れくさいからこそ、実行しなくてはなりません。
逆に、母に対する対応を冷たくしてしまいたくなる時もあるかもしれませんが、そこを乗り越えて、息子としての感謝を”常に”示す必要があるように思うこのごろです。
不況を残り超えて生きていく為の、新しい幸せの形
さて、本題に入りますが、それにしても今の不況は本当に辛いものです。
もうどんなに頑張っても、私たちの両親が私たちにしてくれた事を、私たちの子どもたちにしてあげることは難しいかもしれません。今の不況は努力云々では乗り越えがたい、とても大きな流れになっています。世界や地球をすっぽりと覆う大きな目で眺めてみたら、かつて栄えた日本が衰え行くのもまた自然の摂理なのかもしれない、と思う今日このごろです。
ですが、その反面、今こそ家族が共に住む機会が与えられたという思いでもあります。
"男は核家族の大黒柱でなければならない”という”幻想”を捨てて、家族で一緒に暮らしてみると、思いのほか生活に余裕が出てくるのを感じます。一家に働き手が2,3名も居ると、やはり余裕が違います。その精神的な余裕が大切なのかもしれません。
私は、二世帯同居の究極的なメリットは私たちの子どもにあると思うのです。
赤ん坊の時は、お金以上に人手がかかると言われます。その時、既に私たちを育てた母が”おばぁちゃん”として指南してくれるのは、この上ない安心感です。まして妻も働くならばなおさらの事。
私たちも、やがては父と母が老いて動けなくなった時まで共に居て、この世を去るときに私たちの子どもたちと共に父母を見送りたい。
やがて、私たちの子が結婚をして子ども、つまり私たちの孫が生まれた時に、私たちもやがて人生の終わりが見えてくるのかもしれません。
こうして3代が共に暮らす生活には、誕生から成長、結婚、そして終わりの時まで、人生のサイクルを共に分かち合う事が出来るというメリットがあります。
人生の幸せは、まさしく”人生”の中で感じるものです。
新婚の私たち、思春期を迎えた妹、初老にさしかかった両親、そして新たに生まれくる私たちの子ども。
こうして、さまざまな人生のサイクルを迎えている家族が共に暮らせることは、最高に幸せなことだと感じる今日この頃なのでした。(Chiro)
