平和教育の現在(いま)

2009年 05月 11日

 私たちは、どのようにして「平和」について学んできたのでしょうか?

 


  個人的な話になりますが、私の原体験は、中学校の時に社会科の先生が授業の中で、スライドを使って戦争の悲惨さを訴えていたことでした。結構エグイ写真も多く、女子の中には泣き出してしまう子もいたのですが、それに対して、先生が「歴史をちゃんと直視しろ!」と言っていたことを今でもよく憶えています。
 この先生、どうも筋金入りの「左翼」だったみたいですが、その頃まだ純粋だった私はものすごく影響を受けました。

 

 

 私の体験は極端なものだとは思いますが、少なくても多くの平和教育が、戦争の悲惨さを学ぶことと、その体験を継承することに力点が置かれていることは言うまでもないでしょう。

 

 

 それに対し、10年くらい前から強烈な批判がなされるようになりました。東京女子大学の竹内久顕准教授によると、その批判には2つのパターンがあるそうです。

 

 

 一つは、いわゆる「右翼=歴史修正主義」からの批判で、小林よしのりの『戦争論』や、最近だと自衛隊の元航空幕僚長の田母神俊雄氏の主張に代表されるものです。
 

 

  そしてもう一つが、比較的リベラルなところからの主張で、過去の戦争の悲惨さやネガティブなことだけを教えてもあまり意味がない。それよりも、環境や人権、仲間づくりといった未来志向的な文脈で平和教育を捉え直そうというものです。

 

 

  平和教育に携わってきた人の反省としても、「これまでの平和教育は『戦争は悪い』というだけで、『なぜ悪いか』を考えさせてこなかった」ということがあるそうです。
 

 

  個人的には、「平和は特定のイデオロギーもしくは政治的なプロパガンダと結びついてしか語れない」という事実が広く共有されてしまったことが、平和教育が説得力を失った最も本質的な原因だと考えています。

 

 

  価値的にニュートラルな平和教育というものが不可能だとすれば、いかに多様な主張が交わされるオープンな場を設定するかが重要なポイントになります。「平和教育」を進めるグループも、それに反対するグループも、極めてクローズドな場の中で、反対する意見を許さないような「こわばった空気」を形成しています。例えば、平和関係のイベントで「9条」の是非を問うことは究極のKYです。
 

 

  (自戒も込めて)この空気をブレイクスルーできるかに未来があると思います。

 

 

Aki

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