期待することと信頼すること
2009年 04月 24日
価値観が多様化している現代では、夢や人生の目的は人それぞれかもしれない。でも誰でも人は幸せでありたいと願っている。この“幸せ”には自分を取り巻く人間関係の良し悪しに強く影響する。
人が死ぬ時、自分の生涯を振り返って「幸せな人生であったか」それとも「不幸せな人生だったか」という結果は、どれだけ多くの人と幸せと豊かさを分かち合える時間を過ごせたかで決まると思う。結局は人間関係だ。
環境や状況が苦しい中にあっても、それをともに乗り越えたり励まし合ったりすることが出来た深い人とのつながりは永遠に切れることがない。
楽しみを共に分かち合えるだけではなく自分が辛いときに支えてくれ応援してくる人がいること。そして自分もそのように相手に対して誠実な人間であること。このようなコミュニケーションを築いていきたいと誰もが願っている。そしてそれを相手に期待する。
しかし、たいていの場合、自分の願う通りには相手は動いてくれない。そう、期待というものはたいてい裏切られるものだ。
何故なら自分でも気づかないことが多いが、“期待する”ということは、実は相手に対して「~すべき」「当然~だ」と無意識のうちに“要求する”心理が働いているからだ。
こういった心理は、相手に完璧であることを自然と要求してしまうので、相手にとっても自分自身にとっても負担となり、不幸な関係になる。
親が子供に期待する。
自分がパートナーに期待する。(あるいはパートナーが自分に期待する。)
先生が生徒に期待する。
上司が部下に期待する。
このような関係は「正しい」か「正しくない」かというところに意識がフォーカスしてしまい、非常に息苦しい関係になりやすい。
では理想的なコミュニケーションのあり方は、というと“信頼する”ということだと思う。一見似ている“期待する”ことと“信頼する”こと。この違いは何か。
“期待する”というのは相手に依存している行動であるのに対して“信頼する”というのは自分が主体となる行動だ。相手の態度や行動がどうであれ、自分が相手の本質の部分を信じ愛で応えていこうとする行為、それが”信頼する”という言葉に含まれる意味だと思う。
私が人間関係にいろいろと悩み、迷っていた頃、この言葉の深い意味とコミュニケーションの本質を悟ることができた瞬間があった。それはある詩との出会いだった。
その出会い以来、この詩は私のポリシーの一つとなっている。この詩の根底には、深い愛があり、「信頼すること」の大切さを教えてくれているように思う。
きっと本物のコミュニケーションを築いていこうとするあなたになら、多くのインスピレーションを与えてくれることだろう。
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主が私たちを理解して下さるように 深い所に目を注ぐ
愛の心で兄弟を理会出来るように助けてください。
批判したり非難したくなる時 一番必要なのは
寛容な心で理解することだということを 思い起こさせてください。
悪と悪意が目に映るような時にも そこにはよい意図があったのに
上手に表現出来なかったのだということに思い至らせて下さい。
あまりにも目立つ悪い癖を いつまでも改めないのを目にする時
直したいと思いながらも直せないでいる弱さを見ることを教えてください。
気難しく 冷たく 不快な態度を見る時 深い望みがありながらも内気なために
素直で善良な態度がとれないでいるのだということを悟らせてください。
不道徳な行為を見る時 そうした悲しむべき行為をとらせた
何らかの事情があったことに 思い至らせてください。
人の態度が理解できないとき 主のみが知り尽くされる
人間ひとりびとりの神秘性を 尊重することを教えてください。
広い視野を与えてください。
他の人の道は 私の道とは違い 神に仕え 兄弟に尽くすその道も
それぞれに違うことを教えてください。
好感をもてない人に対し 深い理解を持たせてください。
理解することによってもっとその人を大切にすることが出来るためです。
兄弟をより深く分りたいという望みを 私の内に強め
いっそう寛容で親切な心を持って 接することを教えてください。
(作者不詳)
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(From 北の国から)
