一期一会 -その出会いひとつひとつ-
2009年 04月 04日
ちょっと思っている事をつづってみようと思った土曜日の朝。
人生において、人は一体どれだけの人間に出会う事が出来るだろう?
小中高の時は、”出会い”ってのは家族と友達くらいだろう。
それも、出会う人は居ても実際関係が残るのは、本当に気の会う友達だけだ。
どんなに友達が多い人でも、100人を超える事はカンタンではなかった。
多分、今私が”名探偵コナン”のように身体が小さくなって小学生に入っても、
戦略的に友達を作っても10人は作れない。
いや、むしろ1人も作れないと思う(笑)
大学時代、友達の幅は広がるものの、それでも気の会う友達と、
ちょっと気の会う友達、バイト先の上司、サークルの仲間、くらいだ。
友達の友達までカウントしたとしても、私達が関係を保てる範囲というのは周囲10名以上200名未満。
就職しても出会いの幅は、同僚、上司、仕事先の仲間、後輩、良くて取引先の人、お客さんまでだ。
もしかしたら、大学時代のそれよりも狭まる事もあるかもしれない。
医者や看護士ならば毎日たずねてくる患者さん、高校の先生なら生徒達、
そして私のような開発ワーカーの場合、農村に住む子ども達と親と現地スタッフ達だ。
いずれも100名には至らない小さな人数だ。
私達が生きているこの世界はすごく広いのに、
その割には私達の知っている”人々”とは、ずいぶん限定されたテリトリーに住まう人々ではないだろうか。
最近は、”出会い”というのが如何に貴重かという事をよく考えている。
私達は普段”この人とは二度と会わないんだろうな”とは考えない。
高校の卒業式の時も、なんとなく、あたり前のように式は終わった。
だが、現実にそうなった。
あの時一緒に高校を卒業した400名と会うことは、もう死ぬまで無いかもしれない。
少なくとも、連絡が取れなくなった者と会うことは難しい。
距離的、時間的、心理的制約を考えると、その可能性は限りなくゼロに近い。
私がここでカンボジアの仕事を終えて日本に帰ると、
もしかしたら一緒に仕事をした彼らと会う事は、もう二度と無いかもしれない。
もう二度と会えない。これはすごく寂しい事だ。
だが、二度と会えない出会いというのは、実にそこら中に転がっている。
簡単な話、”久々に会えた人”以外の全ては”もう二度と会えない人”なのだ。
私達に繰り返される24時間の連続、限られた時間と空間の箱の中。
その行動も心も思考も、その範囲が如何に狭いくて小さいのだろう。
その限られた世界の中にどれほどの機会があるだろう。
そして、それらはなんと大事なのだろう。
会う理由のあるこの時間、会っている時が、今会っている人が、とても大事だ。
いつだって繰り返されるのは”今”の連続。
大事なのは”今”なのだ。
25歳のわりには少しジジくさくなった気がするが。
祝日で、誰も居なくなった事務所に1人たたずむ、とある日の朝のお話。
Chiro
