平和学は役に立つか?
2009年 03月 24日
先日、某団体の橋○理事による帰国報告会があり、参加しました。
お話は○本理事が現在、国連平和大学で学んでおられる平和学やその他の研究分野に関することがメインでしたが、私も最近ちょうど平和学関係の本を読んでいたこともあり、非常に興味深く聞かせていただきました。
その中で一つ気になったことがあります。
それは、「今の平和学において“平和”というのは、あくまで“紛争”の対概念としてしか論じることができない」ということです。
現在、平和学においてなされている研究は、基本的には紛争の分析とその予防のための方策の研究であって、理想的な社会とはどうあるべきかということをテーマにはしていません。
もちろん、紛争がないことが平和の第一条件であることは間違いないですが、ガルトゥングのいう「構造的暴力」のない社会が果たしてイコール「平和な社会」を意味するかといえば、はなはだ疑問に思うのです。
たとえば、スウェーデンは早くから移民政策に力を入れ、無料のスウェーデン語講座、移民の子どもへの母語教育制度、民族差別禁止オンブズマンなど、さまざまな政策を実現させ、その至れり尽くせりの移民保護政策から「移民天国」とまで称されるほどでした。
まさに移民に対する構造的暴力を取り払ってきたわけですが、1980年代以降、移民とスウェーデン人との間の摩擦が頻繁に起こるようになり、それが社会問題になっています。
その原因は、いまだに残るスウェーデン人の移民に対する差別感情だといわれています。
この例でもわかるように、人間の社会は人の集まりですから、構造的な問題だけを取り払ったとしても、そこには必ず心理的な問題が残っているのです。
この心理的な問題に対するアプローチなくしては、いつまで経っても真の平和というのは訪れないのではないでしょうか?
その意味でも、平和学において「人と人とが平和な関係でいられるためには何が必要なのか?」「そしてそれが成立するための社会システムとは?」という、「あるべき理想の社会」から出発する研究や分析がなされてしかるべきだと思うのです。
病気の状態を治すことばかりを目的とする対処療法的な研究だけではなく、健康で幸福な状態を追及していく研究分野も必要なのではないでしょうか?
橋○理事も最後の方で、今の平和学には「スピリチュアリティ」の側面が決定的に欠けていると指摘していましたが、学者の方にはぜひそういった分野も研究してほしいと思う今日この頃です。
最後になりましたが、侍ジャパン世界一おめでとうございます!
(Arthur)
