いたむひと
2009年 01月 24日
今日のがん日は「やっくんとれっくんの時事放談」でございます。今回、オバマ大統領の演説とかについて取り上げようかと思いましたが、高い確率で前の人とかぶるかな、ということで……
テーマは「いたむひと」! このタイトルでピンと来た人は、結構読書通かも?
【J】 どうも~。やっくんで~す。
【L】 Yes, We can!
【J】 お~い。何そこで誰かさんの名言述べちゃってますか~
そこは自己紹介するとこですよね~
【L】 いや、ま、せっかくだから……
【J】 せっかくだから、じゃないですよねぇ。
今回は、オバマネタはしないって、約束したじゃないですか。
がん日の時期的に微妙だから、絶対前の人くらいが書くからって。
【L】 くそぅ。せっかく「米大統領の演説レトリック」というテーマで
原稿まで用意してたのに……
で、今回のホントのテーマって、何だったっけ?
【J】 「いたむひと」です。
【L】 そうそう、最近は洗い物をしてると、あかぎれが痛くって……
咳をしていると、胸も痛くなってきてねぇ…
【J】 ずいぶん、リアルな情景が目に浮かんできますが、
この際どうでもいいです。
【L】 じゃ、空気が読めない人のこと?
【J】 それはいわゆる「痛い人」のことですよね?
どちらかというと、れっくんのような人ですかね?
【L】 ま、応用編としては「痛車(いたしゃ)」とかもあるからねぇ。
車にアニメのキャラクター描いたりとか。
【J】 かってに応用編を紹介すんじゃねぇ!
だいいち、話の基礎がそもそもおかしいんだよ!
……って、あんた、自分が「痛い人」って否定しないんですか。
【L】 まぁまぁ。わかってますって。
要は、今回は、小説『悼む人』をベースに、
放談を進めよう、ってわけでしょ?
最近、直木賞も受賞した作品だしね。
【J】 わかってるなら、最初からまじめにやってくださいよ……
『悼む人』って、どんな作品?
【J】 で、れっくんは、『悼む人』って、どんな作品かご存知ですか?
【L】 うん。まず、主人公は坂築静人という青年で、
彼が自称『悼む人』。
【J】 いや、自称はしてないよね? 自称してたら「痛い人」ですよね?
周りの人がそう呼んでるんですよね?
【L】 そうだったっけ? まぁいいや。
で、静人青年に関わるのが、たしか、
なんかの記者と、ある女性と、静人青年の母親なんだよ。
【J】 え、えっ?
それぞれどんな人たちなんですか?
【L】 え~と……確か…
痛車とかの、人や社会の醜さを記事にして書き続けてきた記者とか、
あかぎれが原因で、愛する夫を殺した女性とか、
末期ガンに侵された母親じゃ、なかったっけ?
【J】 一部、さっきの話とかぶってますよ……
特に、なんで「あかぎれが原因で」愛する夫を殺さないといけないんですか!
作者の天童荒太さんに、土下座して謝れ!
【L】 いや、本読んでないから、殺した原因わからないしね。
案外、そうかもしれないよぉ。
【J】 んなわけあるかぁ!
ていうか、本も読まずに書評を書こうというのが、
そもそもの間違いなんじゃ……
【L】 いや、実は、静人青年の行動と言動に、ちょっと興味を持ってね。
なんでも、彼は毎日ラジオと新聞で亡くなった人の情報をメモして
その場所に行って、その人を悼んでるんだって。
【J】 ほぅ。それは確かに興味深い。
【L】 で、現場で問うわけですよ。
「(亡くなった方は)誰に愛されていたでしょうか。
誰を愛していたでしょう。
どんなことをして、人に感謝されたことがあったでしょうか」
【J】 なかなかどうして、深い問いですね。
【L】 このエピソードを通して、考えさせられるわけですよ。
【J】 ほぅ。いったい何を?
【L】 静人青年、よくそんな金があるなぁ。
【J】 そ、そこかよ!
「悼む/痛む人」のあり方とは?
【L】 でも、他者のことを悼む、あるいは、
私の喜び、悲しみや痛みを、
他者とわかちあうことってのは、
実は、かなり難しいことなんだよね。
【J】 そうですかねぇ。けっこう、その場のノリで喜びを分かち合ったり、
共に泣いたりすることって、あるじゃないですか。
「もらい泣き」なんてのもあるくらいですから。
【L】 確かに。
でも、その喜びは、原則「私の喜び」ではない。
悲しみや痛みならばなおさらであって、
「私」と「痛む他者」との間には、やっぱり壁がある。
だからこそ、私は喜びや痛みを「同情」できるわけだ。
【J】 もし、同情できるレベルを超えて、度を越して喜んだり痛がってたりしてると
とたんにその人は「痛い人」のレッテルを貼られてしまうわけですね。
【L】 だから、喜びや痛みの表現は、そこそこにしておきましょう。
なんてニュアンスのことを、アダム・スミスも言ってる。
【J】 じゃあ、私が他者を「悼む」ことは、無理なんでしょうか?
【L】 確かに「痛む他者」の痛みと、私の感じる痛みが、まったく同音にはならない。
でも、ある種の協和音を奏でることはできる。
そして、私が感じる痛みの度合いが、他者のそれよりも大きければ、
何らかの形で、他者に感銘を与えることは可能なはずなんだ。
【J】 う~ん。具体的には、どんな状態でしょうかね?
【L】 私が泣く以上に、私のことで泣いてくれるとか、そんなとこかも。
【J】 ある人の話で、その人が非常にきつい風邪を引いて、苦しんでいるとき、
隣でその人を心配して、ずっと泣いている人がいる。
よせばいいのに、看病しながらずっと泣いているわけですよ。
で、その人も、精神的にかなり感じるところがあったようで、
その影響か、治りが早くなったという話ですよ。
【L】 おそらく、そういう人こそが「悼む人」なんだろうね。
他者の痛みを、私の痛みとして、引き受けようとするような。
風邪を引いてたその人も、そんな「悼む人」がいるということは、
非常に幸せなことだよねぇ。
最後に
【J】 それにしても、静人青年の台詞は、
常に自問自答していたい台詞ですよね。
誰に愛され、誰を愛し、そして何をして人に感謝されたか。
【L】 そうだね。それに加えて、
「たとえ人に理解、感謝されずとも、
それでも正しいと思う信念があるのなら、
それを貫いてきたか」というのも加えたいよね。
人から感謝されるってのは、むしろ後付けになることが多いからね。
だいたい、その人が死んでから感謝されたりとか。
【J】 そう考えると、そうした人を「悼んで」あげる人というのも
やっぱり大事でしょうかね。
【L】 ま、多くの人がその人を「悼んだ」結果できるのが、
いわゆる偉人伝だったりするんだけどね。
自分らも、そうした偉人伝の一つに加えられたいものだよね。
【J】 れっくんの場合「奇人伝」になら、すぐに加えられそうですけどね。
