子供の命は保険なのか?
2008年 11月 08日
途上国に居て、すごく残念なことがある。
それは、長く居た人であればあるほど、
うがった物の見方に陥ってしまうという悲しい事実だ。
その中でも、私が聞いていて最高に悲しい文句がこれだ。
「途上国ではよく子どもが死ぬ。
だから、母親たちは将来の保険の為に子どもを沢山作るようにする」
と、いうステレオタイプ。
理論的にはそう見えてもおかしくないと思う。
でも、個人的には、私はこの説には賛成したくないと思っている。
母親が、いったいどんな想いで子どもを生むのか。
お産にまつわる苦しみは、男である自分にはわからない。
でも、生涯の中でも最高最大の苦しみと投資である事だけは、なんとなくわかる。
母が命をかけて産み落とす命に”保険”なんて言葉が当てはまるのだろうか。
以前、田舎に滞在調査に行ったとき、偶然にも子どもの葬式に出くわした事がある。
5歳の女の子が、マラリヤの犠牲になった。
たったの5歳。
あまりにも早すぎる死。
葬式の場にも参加させてもらった時の違和感は今でも忘れない。
想像していたよりも、ずっと明るいカンボジアのお葬式。
日本よりも、”死”に対する感覚が薄い、そう思ってもおかしくない風景だ。
だが、その死んだ子の母親を見かけた時、その誤解は一発で解けた。
真っ赤に目を腫らした、若い母がその葬式にはいた。
おそらく一晩、ずっと泣いていたのかもしれない。
愛する我が子を胸に抱いて、最後まで救おうと奔走したのかもしれない。
そんな姿を想像させる、そんな目だった。
田舎では母親たちはよく笑う。
聞けば、子どもが亡くなった家庭が本当に多い。
でも、彼女たちが子どもを我が”保険”として産み落とし、
その保険の一部が解約されただけのように、我が子を見つめていたのだろうか。
私はその説に、断固反対する。
よく笑うという事は、過去に何度も泣いたからだ。
悲しみを知っている人は、よく笑うことが出来る。
よく笑う人は人へのいたわりも、命の大切さも知っている。
そして、乗り越える力も。
命が保険だとは、私にはとても思えない。
今後も、私はその説には賛成できないだろう。
おそらく、一生。
CHIRO
