バルネラブルであること

2008年 09月 26日

 先日、大学ボランティアセンター全国フォーラムというシンポジウムというか研究会に参加してきました。


 その基調講演の中で、ボランティアの「バルネラブル(傷つきやすさ、脆弱性)」というお話がありました。これは、金子郁容氏が『ボランティア―もう一つの情報社会』(岩波新書)の中で提唱したキーワードです。

 

 ちょっと本文から引用させていただきます。

 

 「ボランティアとしてのかかわり方」を選択するということは、自発性パラドックスの渦中に自分自身を投げ込むこと、つまり、自分自身をひ弱い立場に立たせることを意味する。この「ひ弱い」、「他からの攻撃を受けやすい」ないし「傷つきやすい」状態というのをぴったりと表す「バルネラブル(vulnerable)」という英語の単語がある。
 この言葉を使うならば、ボランティアは、ボランティアとして相手や事態にかかわることで自らをバルネラブルにする、ということになる。(112頁)

 

 

 つまりボランティアは理念上、他との相互関係性を自覚した上で、社会に対して開かれていくため、様々な問題に対し自分のこととして受け止めざるを得ないわけです。そして、そのような感性を持てば、当然、それは結構シンドいことで、「傷つきやすく」なります。

 

 

 大学ボランティアセンターも、大学の中の一組織である以上、大学の方針に従わないといけないのは言うまでもありません。しかし、「ボランティアセンター」である以上、地域や社会のステークホルダー(利害関係者)を無視することはできず、それらの人々の声に耳を傾けるバルネラブルな存在にならないといけないという提案だったわけです。

 

 地域にあるボランティアセンターにしても、社会福祉協議会が運営する場合が多いですが、社会福祉協議会に対して一定の独立性を保てないと本質的には存在価値が疑われるというような鋭い指摘もあり、「うーん。確かにね」と妙に納得してしまったわけです。

 

 

 非営利セクターに身を置くものとして、常に自分がバルネラブルであるか問わないといけないと思わされました。(Aki

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