平和が始まるところ
2008年 09月 07日
マザーテレサの施設を訪問して
今年で何回目になるでしょう、カンボジアの訪問とともに必ず訪れるのがミッショナリーズオブチャリティです。
マザーテレサという名前を知らない方はあまりおられないとおもいますが、
実際の人物について詳しく知っている人も、また、多くはないでしょう。
私も映画を観たり、簡単な書籍を通じて知っている程度かもしれませんが、
それでもこうして4年目になるマザーの施設の訪問はわたしの中に、
いつしか、でも漠然ともう一度訪ねたいと思わせる不思議な力があることを
証明しているのかもしれません。
初めてマザーの施設の子供たちに出会ってから4年になりますが、
そこでの衝撃はいまでも忘れることができないものになっています。
私は自分のことを強い人間で他人から生きる力をもらおうなんて
そもそも思ってもいないようなところがありました。
そんな強がりを言っている私にもその変化は起こりました。
初めてエイズの子供たちに触れることに対して不安になっている自分と、
どこまでも屈託がなく明るい瞳の子供たち、それに、マザーの愛の言葉。
自分の中に“生きることの力を与えられる”ということが実際に起こった瞬間でした。
この病気の小さな子どもたちが、
大人の私に膨大な感謝と希望の力を与えてくれるなんて想像も期待もしていませんでした。
でも彼らの笑顔とその屈託のない姿を通じてそのことは起こりました。
そもそも、皆さんマザーテレサの“マザー”という言葉の意味をご存じですか?
それは“母”ということです。
カトリックの修道院とか宗教の教えのはるかな大前提として
マザーテレサは“母”となられたんだとその時悟りました。
施設のシスターたちは文字通り、“姉”でした。
母と姉たちに愛された彼らは病気の身でありながら、喜びを感じていたんです。
これが、施設を訪問するときに感じるあの“平和(ピース)”の根源なのだとつくづくと感じさせられました。
いまも私は、あの施設の母や姉のように、
どこにいて、誰にたいしても、父や兄となれないかと思っています。
(tetu)
