恨(ハン)の文化
2008年 06月 24日
みなさんこんにちは。326です。
今回も前回に引き続き韓国文化を紹介していきたいと思います。
みなさんの中でも韓国映画やドラマをよく見る人がいると思います。
韓流・純愛ブームにのって、冬のソナタを初めとして日本でもヒットした映画やドラマはたくさんあります。
しかし、韓国映画やドラマを見ていると、一つ不思議なことに気がつきます。
それは
ハッピーエンドにならない
ということです。
つまり、たいてい最後には主人公や主人公の愛する人が不幸になって終わるというストーリーが多いんですね。
「冬のソナタ」では目が見えなくなるし、「私の頭の中の消しゴム」ではアルツハイマー病になるし、「秋の童話」に至っては愛し合っていた2人が別々の場所で同時に死ぬというありえないような結末でした。
私も韓国映画やドラマを見始めた頃は、なんでこんなに不幸な終わり方ばかりするのかなかなか理解できませんでした。
つまり、このストーリーの中にも韓国文化が見えるわけで、その代表的なものが「恨(ハン)」の文化と言われるものなのです。
そこで今回は、かの有名な「恨(ハン)」の文化について私なりに紹介したいと思います。
「恨(ハン)」については韓国に関心がある人は聞いたことがあるのではないでしょうか?
実際韓国人に韓国の文化を最も表しているものは何かというと、たいてい「恨(ハン)」と答えるようです。
ではこの「恨(ハン)」とはいったい何なのでしょうか?
日本では同じ漢字を使って「恨み」という言葉がありますね。
「恨み」とはみなさんもよくご存知のように、誰かから自分が被害をこうむったことに対する復讐の念だということができます。
では「恨(ハン)」は何なのかというと、それは愛する者を失った悲しみであるということができます。
つまり、愛したいのに愛することができないという思いが「恨(ハン)」の念だと言えるのです。
日本語では「無念」に近い言葉といえます。
これを私なりにさらに考察してみました。
例えば韓国人の中には、日帝時代の苦い経験を理由に日本を嫌っている人は確かにいます。
これはいわゆる日本人と同じ「恨み」の念です。
しかし、日帝時代の経験は日本に対する「恨み」とは別に「恨(ハン)」という念もまた生み出しました。
この思いは日本に対して向けられているものではなく、自分自身に対して向けられているものです。
それは、本来は同じ人間として家族のように愛し合いたいのに、過去の不幸な歴史によって純粋に愛し合いにくい関係になってしまったことを悔しく、悲しく思っている、そういう思いに近いものなのです。
そう考えてみた時に、私にとってとても大きな悟りがありました。
つまり「恨み=愛されなかったこと」よりも「恨(ハン)=愛せなかったこと」の方がもっと悲しいのだということを、韓国人はその歴史や文化の中で感じてきたということなのです。
確かに「恨(ハン)」の念は日本人にももちろんあります。
ただ、日本人は何かよくないことがあったときに、それを「恨み」の念でよりとらえやすい傾向があるのかもしれません。
「目には目を、歯には歯を」という有名な言葉があるように、世界で起こっている様々な紛争や個人次元での争いなどは、「恨み」が大きな原因の一つとなっているといっても過言ではありません。
やられたからやり返す
何か、小学生が喧嘩をすることと、大人が戦争を起こすことの理由が同じように感じてしまうことがあると、とてもむなしくなってしまいます。
また、NGO活動をやっている人たちの中にもときどき、「政府や行政がしっかりしてないから・・・」と言って、誰かや何かに対する「恨み」を動機に活動をしている人もいたりします。
逆に、度重なる他国からの侵略の歴史を経てきたにも関わらず、「恨み」よりも「恨(ハン)」の文化を築き上げてきた韓国から、私は平和な世界を作るヒントを学んだ気がします。
「恨み」を「恨み」で返すことは簡単です。
また、私達の中でもそうなることを当然のように感じている部分もあるかもしれません。
しかし、もし「恨み」を「恨(ハン)」で消化することができる人がこの世界にたくさん増えたとしたら、この世界はもっとよくなるのではないでしょうか。
私達はピースメーカーを目指していますが、ピースメーカーとは、「恨(ハン)」を通じてこの世界にある「恨み」の絶対量を減らすことができる人のことなのかもしれません。
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