毎日の、目の前の単純作業に愛と夢と祈りを込める
2008年 05月 03日
私が19才の時に出会った、こんなエピソードがある。
時代はまだアメリカ建国の頃。大陸を横断するための鉄道が建設されていた。そこに同じ時に同じ場所で同じ仕事をしていた2人の青年労働者がいた。しかし、同じ環境で同じような境遇にあったこの二人の35年後が全く違ったものになっていた。それは、一人は相変わらず昔と同じ仕事をしていたのにかかわらず、もう一人は鉄道会社の社長をしていた。という話だ。
この35年という歳月の間、何があったのだろうか?どうしてこのような差が出たのだろうか?能力の差だろうか。運の良し悪しの差なのだろうか。その答えが当時の私にはとても印象的だった。
つまり労働者の方は、1時間30セントのために働き始めたのであり、それに対して社長になった方は、鉄道のために働き始めた。この差だと書いてあった。
それを読み、とても衝撃を受けた。外的に同じように見える環境や境遇の中にあっても、その人が何を考えて行動しているかによってこんなにも違った人生の結果になるんだという事実に対して、新鮮に驚いた。
それまでただひたすら努力し、苦労すればいつか報われる。といういわゆるド根性精神みたいなことを教わって育った私には、そこに何を想い、熱意を投入するかという考え方、動機によって全く違った結果になってしまうということに少なからずショックを受けた。つまり同じように苦労しているのにかかわらず、結果がこのように雲泥の差ではちょっとどころかかなり空しいのではなかろうか。「今までの苦労は何だったんだ~!!(泣)」と夕日に向かって叫びたいくらいなものである。
話は戻すが、この労働者が特殊な考えを持っていたわけではないと思う。今の時代であっても同じように考えている人が大多数ではないだろうか。自分の努力に対してその金銭的意義だけを追及したり、愛する家族を養うためにひたすら嫌な仕事に耐えて生活の為に仕事したりする人も多くいることだろう。
それに対して社長になった方は何を考えていたのだろうか?鉄道の為に働き始めたとあるが、どんな動機があったのだろうか。いろいろ私なりにイメージしてみた。この社長がまだ青年で労働者だった時のことを。
どこまでも続く果てしなき大地が目の前に広がっている、その光景の前にたたずむ青年の姿。この気の遠くなるような広さ。この仕事に果たして終わりがあるのだろうか?そんな事も感じたことだろう。ただひたすらレールを敷いていく日々。毎日毎日単純作業の繰り返しだ。
そんな環境の中にあって、この青年労働者が見つめていたのはまだ見ぬ未来の姿だったに違いない。まだ鉄道が敷かれていない先の大陸を眺めながら、「今自分のしているこの作業がいつか東西を繋ぎ、たくさんの物や多くの人々を乗せた鉄道が、このレールの上を走っていくんだ!」と大きな夢を描き、自分の仕事に誇りを持っていたのではないだろうか。
この単純な仕事の中にあっても自分の情熱と夢を投入できたのは、そこには彼の中にまだ見ぬ未来の後孫達への深い愛情があったからだと思う。次世代の人々の住む社会がより良く便利になり、多くの豊かさや幸せをより多く人達へもたらされますようにという祈りを込めて。
このような考えが他の人と違った行動を促し、その積み重ねが35年という歳月を経て、結果的に社長という立場になったのだと思う。きっと社長になろうと思って頑張ったのではなくて、よりグローバルな視点に立って努力し自分の全てを投入してきた結果、社長という地位に引き上げられたのではないかと思うのだ。
あなたも私と同様、日々こなしている仕事はきっと8割くらいは単純作業であることと思う。この一見、面倒くさくて退屈な単純な繰り返しの仕事。その仕事の先をぜひ見つめてみてください。
そしてそこに、「あなたの社会や人々に対する愛情」と「まだ形になっていないあなたの夢や想い」とをあなたの全てを投入するくらいの情熱と祈りを込めて、あなたの今していることに誇りを持って取り組んで欲しいと思います。遅かれ早かれ、きっとあなたの想像以上の花を将来、咲かせる日が来ることでしょう。
(From 北の国から)
