2050年問題を少し

2008年 03月 26日

 今、別の団体と一緒に「2050年問題」というものを研究しています。

 以前、「2000年問題」というものがあって、2000年になるとコンピューターが誤作動してパニックになるという話でしたが、ほとんど何のトラブルも起きませんでした。

 

 

 2050年問題というのは、2050年になった時、人口は91億人(国連予測)に達し、それに伴い、食糧・エネルギー不足や環境破壊が深刻な状況になるという予測です。それがどれくらい深刻かという細かいデータは皆さんもどこかではご覧になったことがあると思います。

 そういえば、日本サッカー協会によると、2050年のワールドカップで日本が優勝するのを目指しているそうです。

 

 

 温暖化などのデータをよく見ますが、日本の国内の分かりやすい話で言うと、日本がこのまま歳出削減や増税などの再建努力を怠って悪化の一途をたどった場合、2050年度時点で、国と地方を合わせた借金の残高が今の5倍以上にあたる約4,000兆円にまで膨れ上がり、国内総生産(GDP)の4倍にも達するそうです。(財政制度等審議会の報告から)


 世界的に言うと、90億人の食料をまかない、かつ、大気中のCO2濃度を一定に保つには、地球が1.4個必要という国際機関の試算もあります。
 詳しくは、こんなサイトもあるので、ご覧ください。

 

 

 でも、多くの場合、なぜ何のアクションにも結びつかないんでしょう?

 


 ここ数年は特に、いろんな分野であまりにも危機感を煽られまくっていたので、危機に対する感性が麻痺してしまったのかもしれませんね。

 

 その一方で、特に環境問題などで顕著だと思うのですが、危機感を煽っておいて、最後は「少しずつ」「できるところから」というライフスタイル論に結論をもっていく論調が多いです。その手軽さや分かりやすさに、何かの胡散臭さを私は感じます。

 

 レジ袋を削減したり、割り箸を使わないようにしたりすることは、エコを考える第一歩にはなり得ると思いますが、逆にそれで満足したり、何か安心してしまうことはないのでしょうか。

 

 

 

 CO2削減で言えば、要は各国がコミットできる国際的合意の枠組みをどう作るかですし、あとは技術的なイノベーションでしょう。その辺りに対する視点が、分かりやすいライフスタイル論でぼやけてしまわないか心配です。(Aki

コメント一覧


新規コメント (名前と本文は必ず入力してください。)

※コメントは承認後に公開されます。