命(みこと) ~散りゆく者への子守唄~

2008年 03月 15日

 皆様お疲れ様です。
 
 普段は、JASPERSこと、やっくんと、
 LEVINASこと、れっくんの対談をレポートしております。

 今回は、思うところがありまして、
 たまにはいつもと違ったテイストで、
 ある新婚夫婦に最近起こった出来事について、
 散文形式で書こうかと思います。


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 あるところに、今年になって一緒に住み始めたばかりの新婚夫婦がいた。
 夫婦は、いわゆる国際結婚。
 日本人夫に、タイ人の妻。
 言葉の壁というギャップは持ちながらも、
 それでも、お互いに理解しあおうと、すごしていた。

 ある日、妻が言った。
 どうやら妊娠しているようだ、と。
 
 少し早いのではないか。
 
 夫は考えたが、検査薬を使い、
 産婦人科に行き、それが間違いないことが判明した。

 喜びあう二人。
 二人の両親はじめ、多くの人が喜んでくれた。
 
 「子どもは、男の子だろうか、女の子だろうか?」
 「将来、この子は、どんな子になるだろう?」

 経済的な不安はあった。
 妻の体調も、つわりのせいか非常に思わしくない。
 けれども、二人でこの困難を超えて、
 元気な子どもを、生んでいきたいと思った。

 …
 ……
 ………

 そして数日後、
 夜中に妻が泣きながら言った。

 子どもが流産してしまったと。

 そんなはずはない!
 事前に買った医学書を調べ、
 ネットを検索する。
 …なんとも言い切れない。

 「大丈夫、大丈夫だよ」
 そうなぐさめても、妻は泣きやまない。
 思わず、こちらも泣きそうになるが、
 夫として、ここで動揺はできない。

 朝に、すぐに妻に病院に行くように指示し、仕事に行く。
 彼女のためにも、ここで仕事を無駄に休むことはできない。

 正直仕事には手がつかない。
 結果が分かったら、すぐに電話かメールをするように伝えているので、
 頻繁に携帯を眺める。
 
 いつもは山のように迷惑メールが来るくせに、
 この日に限って、迷惑メールすらこない。
 
 
 …
 ……

 そんな中、突然妻からのメール。
 
 「検査の結果、流産していたことが分かりました。
  でも大丈夫です。心配しないで」

 正直、何が大丈夫なのか分からない。
 絶対に無理しているに決まっているが、
 メールの文章からは、それは伝わってこない。

 ……こんなとき、メールは決定的に役に立たない。
 電話をしたいけれども、業務がたてこんでいて、
 動けない現状。


 我慢しようにも、目から涙があふれて止まらない。
 サーバー室で一人で作業していてよかったと、
 心から思う。

 技術者としての思いが頭をよぎる。

 「なぜ、この障害が発生したのか?
  今後、二次障害を防ぐために、
  何をしないといけない?」

 でも、別の思いが思考を妨げる。
 こんなとき、人間の理性の限界を感じる。
 とにかく、しばらくは何も考えられない。
 
 そして、その別の思いが叫ぶ。

 「お前のせいだ!」
 「せめて、今日は休むべきじゃなかったのか!」
 「なぜ、夜の時点ですぐに緊急連絡しなかったんだ!」

 断罪の叫び。
 その叫びに、返答することはできない。
 ただ、その叫びが頭をまわる。

 
 そうして、少し心が落ち着いてくる。
 哲学者としての思いに、耳を傾ける。

 生命倫理学では、胎児が「いのち」としてみなされるのは、
 一通りの器官がそろう、妊娠4ヶ月くらい。

 
 …
 ……
 ………

 それがどうした。
 では、流産した子どもは「いのち」ではないのか!

 学生時代に散々学習してきたこと。
 それが、いかにこざかしいものであったかと、思えてくる。

 また涙が止まらない。

 
 そうすると、今後は、
 コーディネーターとしての思いが、頭をよぎる。
 そう、他の人が同じ状況に陥っていたら、
 おそらく、こう言ったかも知れない台詞。

 「まだ妊娠して間もないころだから、
  肉体的にも精神的にも、影響は薄い。
  ここであきらめずに、がんばっていこう」

 ……こざかしい。

 そんなことがすぐに受け入れられるなら、
 こんな苦労はしない。

 
 「この犠牲には、何かの意味があるよ。
  『原爆の鐘』の永井先生ではないけど、
  何かを生かすために必要な犠牲だったんだよ」

 「何かを得るためには、それと同等の代価を必要とする」

 長崎県民として、この思いにすがりたい気持ちになる。
 でも、別の声が、やっぱり叫ぶ。

 じゃあ、なんで自分なんだ。
 他の奴じゃ、だめだったのかよ。

 
 …
 ……
 ………

 生まれてくる子どもに、
 妻と一緒に子守唄を唄ってあげたかった。

 子どもとともに、
 いろいろとしたいことがあった。
 一緒に笑って、
 一緒に泣いて、
 一緒に怒って、
 一緒に楽しみたかった。

 ……とにかく、ただ一緒にいたかった。

 でも、それはいまやただの夢。
 

 命こそ宝、などというけれど、
 その言葉の意味が、今重く感じられる。

 
 …
 ……
 ………


 とにかく胸が苦しい。
 でも、それ以上に苦しいのは、やっぱり妻のはず。

 …でも、なんと言ったらいいか、さっぱり思い浮かばない。
 いつもなら、いろいろな格言引用がすぐに頭に思い浮かぶのに、
 今回は、何も思い浮かばない。

 もう、それを正直に言うしかない。

 「今は、あなたになんと言ったらいいか分かりません。
  今日はただ一緒に泣いて、明日からのことは、
  そのあと考えましょう」

 
 そのあと、妻からメールが返ってくる。

 「ありがとうございました。
  私は、もう大丈夫です」

 今度は、なぜか、
 本当に少し落ち着いたのだな、と感じる。
 不思議なもの。
 
 
 いろいろな思いに身をゆだねていると、
 体がとっても疲れて、それ以上何も考えられなくなる。
 人間というものは、本当によくできている。

 
 今日頭を巡ったすべてのことを、
 散りゆくものへの子守唄にしよう。

 そして、そこから新しい命(みこと)を、
 はぐくんでいこう。


 「あきらめが人を殺す。
  あきらめを拒絶したとき、
  人は人道を踏破する、権利人となるのだ」

 …どこかで、聞いたことのある台詞が、頭をよぎる。
 でも、それは本当なのだと、心より想う。

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 次回からは、いつもの調子で、がん日を書こう。
 

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