芸術は爆発だ!

2007年 12月 22日

  芸術とは、想い、経験、人生、想像、現実、愛、自分の内に秘めた全てを表現する手段だと想う。

 

自分はプロでは無いし、大して上手でもないが絵を描くことは多い。
何かのイベントの時、企画書に、児童用の紙芝居やテキスト、

誰かのプレゼント、と様々な場面で絵を描く機会に“恵まれる”。

 

                  

 

何故“恵まれる”という表現をしたか。それは“目的”があるからだ。

 

絵を通して“喜んでくれる相手”が居る。描く目的と相手が明確になっている。
だからこそ描く意欲も湧いてくる。

 

何も目的も無く描く絵、空白の時間を埋めるために描く絵。
理由も無く描かれた絵たちは、目的のあるそれと比べると明らかに質が落ちる。
どこか物悲しさが漂う。
それが、つまり“駄作”なわけだが、それは技術的な側面だけじゃない。

 

何のメッセージ性も思い入れもない造形など、“抜け殻”に過ぎないからだ。

 

私は美術館や絵画展をうろついたり、絵画集を眺めたりする事もある。
絵には作者の想いが見事なまでに表現される。
何世紀も前に描かれた絵画や彫刻から、
私達はそこに込められた作者の息遣い、生活、ついには人生観を感じる事が出来る。

 

筆の入れ方や配色、人々や木々の表情。
絵は、言葉以上に物を言う。
そこに現れるのはその人の個性であったり、人格であったり、
夢であったり、喜びや悲しみであったり、愛であったりする。

 

 

                     

 

 

どんな些細な生活の風景も、些細な愛の交わりも温もりも、
ふと何百世紀も過ぎてみれば“芸術”と呼ぶに値する、
温もりのある尊く美しい価値のある風景に昇華するのかもしれない。

 

想いにならない想いが絵になる。
言うに言えない心の叫びが絵になり、彫刻になる。

 

偉大と称される作品には例外なくそれがある。
“言うに言えない想い”が込められている。

 

心のうちにある無形なる何かが爆発して、形になる。
その秘めたる叫びに、人々は心を打たれる。作品は、作者よりも多く言葉を語る。

 

そういう理由もあって、私はささやかではあっても、絵を描く事が大好きだ。
絵は、“喜んでくれる誰か”に向かって歩き出す私の分身なのだ。

 

    (Chiro)

 

 

 

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